すふのスイカ牧場

えんえんと。つらつらと。

エモエモのエモ~!!

 

 

 

 

「感動した」ってなんやろな。

 

 

 

 

何かしら答えを持ってそうですが何一つ考えたことはありません。なんとなく盛り上がって、気分が良くなって、うおー!!と叫びたくなったとして。その状況を言葉で言い表そうにもできる語彙力がないから芸術を見た時の「感想」として「感動した」って言うんやろな。というのが無理くり思考をめぐらせて出た結論です。そしてこの文章はその延長です。色々考えました。

 

 

 

 

『めっちゃ感動した!』

 

 って言われたら 

 

『感動した』以上に『感動した』

んやな。『more感動した』んやな。

 

 

 

 

そう認識します。でもこれmoreの用法としては間違ってますよね。比較級なのに相手がいない。そこで大概の『めっちゃ感動した』ユーザーにキラーパス

 

 

 

 

『何より感動したん?』

 

 

 

 

顔は固まり冷や汗が流れる。特に何も考えてないから。てか聞くヤツモテへんやろな。俺なら絶対言わん。まぁとりあえずそういう奴がいるとして、この質問に対して苦し紛れに出た答えの数々を見てみましょう。

 

☆『うーん、でもなんしか感動した!』

これは暗になんも考えてへんことを認めてるからまだ許せる。ドーパミンってやつの力は想像以上で人間の思考回路を平然と奪い去り、語彙を溶かします。

 

☆『そんなんええやん!いちいちさ!』

これタチ悪いですよね。自分の文法のミスを指摘されてムキになってる。指摘してる方もどうしょうもなくモテなさそうな器のちっささですけどね(2回目)。じゃあこれもドーパミンのせいにしちゃおう。

 

 

 

 

え?お前はこうなんねぇのかって?

 

 

A.なります。

 

 

 

 

ならないわけないやん!テンション上がるやろ!「感動して」るんやから『めっちゃ』くらい使うしそういう重箱の角ほじくるみたいなことすんな!ってな。なるなる。しゃあない。

 

 

 

 

おっと…これやん。

最初の問いの答えがありました。「感動した」とは

 

 

 

 

「今何も考えれねえから感想とかちゃんと喋れねぇから話しかけんな察しろや!!」

 

 

 

 

です。感動しました!って感情が動いたことそのものやから感情の、その想いを表現したことにならないんですよ。そいつは感想とは言えない。

 

 

 

 

ところがどっこい試写会の様子を映した映画のCMに出てくるアホそうな女やカップルは揃って「めっちゃ感動しました!」って言うんよなこれが。カメラマンは「感想をください!」って聞いてないんやろな。「この映画見てどうなりました?」って聞いたんやろ。そしたら「感動した」もついでに「泣きました」も答えとして成立する。

 

 

 

 

けどこのアホそうなやつらがアホそうに見えるのは、例えほんまにアホそうでも(言い過ぎですね、すいません。)映画を見て「感動してる」やつらに「感想は?」って聞いてまともに帰ってくるはずがないことを理解してないやつのせい!小島監督やらLiLiCoやら有村昆でもない限り、見てる段階からテレビに使えるような映画に対するコメントを考えれる人間は少ないことぐらい察せよ!

 

 

 

 

はぁ、はぁ、もう疲れたし話がそれた。つまり感動してる人に感想聞いちゃいけないんですよ。

 

 

 

 

そもそもこれ書こうと思った理由があって。とあるツイートを見て内容は「感動して語彙力溶けてるわwやばいやばいアカンアカン」てきな物で、それ仕方ないで!アカンくないで!って叫びたいためなんです。

 

 

 

 

叫びます!

 

 

 

 

「バカみたいにエモくなれ!エモくなったらバカになるぞ!仕方ないで!」

 

 

 

 

君の感動は誰にも邪魔させない。

余韻を飲み干す前に味わえ。

 

 

 

 

スッキリしました。

またどこかで。