「え~チケットも抽選になってさ~曲も若干ポップなの歌い始めてさ、昔が良かったよな~」
俺はこういうやつが嫌いです。
このタイトルに関しては以上。このタイトルは特に意味はないけど最後まで読んでいただければその意図がわかる気がします。まぁ読了したらそのままTLに戻って、「フォロワー早く呟け」ってシュッパッてするんじゃなくて、一息ついていただけると幸いです。
俺はあのMCに対してありがとうというのは適切か適切でないか。
言ったすぐ側に迷いを感じたけど、間違いなく俺は心の底からありがとうって思えたし、恐らくそのMCが、あの人の決断が違った内容だとしたら喪失感とこのライブを忘れないようにってより強く思ったんだと思う。
それは真っ直ぐにさようならって意味で。
これは共依存。嫌な言い方をすると…やけど、おそらく。
この文は全ておそらくやからこいつは頻出するワードになる。
あの人はやりたいことをやって俺たちは見たいものを見る、欲する。そしてまた新しいものをあの人が生み出す。そうやって俺たちの世界は回ってる。もちろんほかの要因もあると考えて。
もしくはこれもひとつのエゴなのかもしれない。俺の世界はこうできてるんや。っていう天動説地動説の論争。神はいるか否か。
じゃあ俺の論では神はここにいる…と思う。あの人を神としてそれに群がる人、その人に繋がる人がすふの周り。
実際そこに群がってるのにも理由があってその神が作り出すもので生きてるから。ただその神も別の世界で人をやってる。なんかに縋るしかない。そのすがった先が自分の世界を作ること。作品を作ることは世界を作ること。そして、そういう生き方を選んだ人が沢山いること。
あの作者の世界観が好きなんだよな。とはなんと偉そうな言い方だろうと思う。俺には出来ないからそう思うだけだけど。
話がそれた。そうして自分の世界を作ってそれに縋ることで人は神になる。結局は神も人で自分が生きるために縋られることに縋ってるのだから。
そう、だから俺は彼のMCにありがとうと言ったことを後悔もしてないし、否認もしないし、何を言われても自身を肯定する。
だから。あの人が作品をうみやすい環境を選びましたと言ったことに賞賛、感謝の言葉を惜しむわけがない。
世間的には失礼だろうよ。神が選んだことを人が評価するのは。
でも神も人ならこれからも互いに縋りあってこうぜ。人間くさいってそういうことやろ。そういった苦悩や作品には含まれない部分を見せることは神としては強みであり弱みであり、今回は上手く働いてる。神は神らしくってことができない神なら人になった瞬間を突き放すのではなく仲間として迎えてあげる。これが理由である。
本当にいいライブでした。
有難う。
俺と同じ人も、また遊ぼうな。
あとがき
人という歌を聴いて、このライブを全身全霊で浴びて、MCを受け取って、最後のアンコール前のはーいに包まれて、人の、そのぬくもりに触れたから、からこそ帰り道フラッシュバックして生まれた文です。
思考がふわっとしてて文を推敲することなく書きなぐったものです。
御容赦ください。
いや、この文に則ればこの文の中ではたまた外でこの文を作った神であるからそんなんええんよな。
ほな、おやすみ。明日(11/24現在)がんばろーぜ。