すふのスイカ牧場

えんえんと。つらつらと。

死は救済

 

 

 

怖い!メッサ怖い!いややいやや!!ヤジャヤジャ!!

 

 

 

そんななりした僕でも怖いと思うことくらいあります。ぎょうさんあります。何が怖いかというと

 

 

 

「死」

 

 

 

です。いや~怖いですね。見るだけで怖い。”SHI”の並びだけで怖い。ほら、なんかこうゾワッて…しません?あれ?俺はするねんけどなぁ。怖ないって思った人、あんた強いね。怖いって思った人、まぁそれなりに仲良くなれそう。よろしくな。

 

 

 

このすふさんをここまで怖がらせている「死」の性別は?年齢は?いったい何者?

気になったので調べてみました!

 

 

 

(し、英語death)とは、(読み飛ばしてええぞ)

  • がなくなること[1]生命がなくなること。生命が存在しない状態
  • 機能を果たさないこと、役に立たないこと(→#比喩的な用法を参照)

ただし、何をもって人間の死とするのか、その判定や定義は文化、時代、分野などにより様々である(→「死亡の判定・定義」節を参照)。一旦は命が無いとされる状態になったが再び生きている状態に戻った場合、途中の「死」とされた状態を「仮死」や「仮死状態」という。伝統的に宗教哲学神学が死を扱ってきた。近年では、死生学法学法医学生物学等々も死に関係している。死の後ろに様々な言葉をつなげ、様々なニュアンスを表現している。例えば「死亡」「死去」「死没」などがある。

世界においては1日あたり、おおよそ15万人が死を迎えるが、そのうち2/3は高齢による加齢関連が死因である[3]。先進国になるとその割合は高く、90%ほどが加齢関連である

 

 

 

らしいです。

またワンピースの話なんですがヒルルクが「人に忘れられた時が本当の死」だ的なことを言ってた気がします。一理ある。死んでも誰かは葬式に来てくれるし、家には仏壇があるし、遺品を持ってた人はとんでもないやつじゃないかぎりその人を覚えてるし、思い出す。心の中では「生」き続ける。だからそいつは「死」んだことにはならない。ほな俺はとりあえずは弟がおるし、誰かに忘れられることはないし、こんなアカウントもあるし…しばらくは忘れられなさそう…でも怖い!

 

 

 

「死」について考えてみたけどやっぱ怖いもんは怖くて。何が怖いかって理由について今から考えてみるんやけどまず第一条件として「死んだらどうなる」って思考があるんですよね。

 

 

 

地獄や天国って考えがあって

 

 

 

僕はどっちなんだろう。

 

 

 

親父のパソコンでこっそりエロサイトを見たり。

そういったネット知識を得る前に違法アップロードを何度も見てしまったり。

母のへそくりを見つけてこっそり取ってしまったり。(後でこっそり返したよ!)

 

 

 

僕はどっちなんだろう。そう思うんです。

 

 

 

正義感が無駄に高いおかげでヤンキーの悪いことが許せずいちいち首を突っ込んで…

もうやめよう。なんしか今でこそまだ落ち着いてるけれど、決して最初からこうではないんです。良い奴って言われることが度々増えてきて、嬉しさ反面最初は飲み込むことが難しい程度には過去に対するトラウマっつーかなんつーか…引っかかることが多い問題児でした。

 

 

 

じゃあ俺地獄やん!いやや!舌抜かれるのも、針もいやや!ってそう思うと怖くなりませんか?死んでも痛いことが待ってる。これほど怖いものはない。

 

 

 

そして今の話。さっきのは死んだ後の話。今です。

 

 

 

今好きな音楽があって、好きなゲームがあって、何より大事な家族に友達がいて。

こんな駄文でも見てくれる人、いるんですよね。ありがとうございます。

 

 

 

そんな「好きなもの」たちが突然なくなったら…僕の頭は割とお花畑してるので、考えれそうにないですけど湧き上がってくるのはマイナスの感情やろなって予想はつくし、お花畑といっても、根っこが全部毒やでってタイプの花が生えてるので「俺のあずかり知れぬところで物事が進んでいく…」っていうくっそめんどくさい思考になるわけです。怖いっていうか自分のおかげで自分がおびえてるんですよね。

 

 

 

とはいえ自分が現実に起こってほしくないことが起こるのは純粋に嫌だなって思うのはきっと俺だけじゃないし、それによって負のオーラをまとっている俺が人に見られるのはこっぱずかしいところがある。

 

 

 

俺、やっぱ死にたくないわ。

 

 

 

友人と水族館で

「これ、死んでる?」

「死だね」

「死じゃん」

っていうよくわからん会話を交わしたんですが、その時にもそいつらと話してました。

 

 

 

「死にたくねえよな」

 

 

 

当たり前?違うんですよ。今すぐにでも死んだ方が楽じゃねえか?っていうようなことがある程度の頻度で起こるやつがいて。それでも生きてる理由は「好きなもの」があるから。俺は勝手にそう思っています。(ほんまにごめんなさい!)

 

 

 

理由っていうかね、好きなものがなくなるのが怖いじゃなくて、好きなものがなくなったら死ぬんですよ。薬…といえばそうなのか。人間である時点で治らないけどある程度の付き合い方をしてれば死なない病…うまい比喩は思いつかんかったけどそう考えると納得いくし。俺が怖いなって思う理由も何となく腑に落ちた。

 

 

 

あれちょっと待って。「死んでも生きてる」なら「生きたまま死ねる」のでは?

 

 

 

僕が今ハマっている歌い手…アーティストと呼ばせてください。そんな彼は「死は救済」というワードがキャッチコピーのようになっていてとんでもなくやべえワードなんですが「生きたまま死ねるかも」という仮定に対してかなり重要な答えを出してるんです。

 

 

 

「死にたくなるようなクソみたいな日常、ライブにきて死ににこいや」

 

 

 

的なことを言ってました。

(実際はこうですねみたいなめんどくさいオタクはキッツいので言ってこないでくださいね。)

このアーティストのライブはラウドロックやメタルのメジャーアーティストの楽曲のカバー、オリジナルのバチクソにかっこいいメタルサウンド。そして僕みたいなオルタナティブキチにもささる懐かしの曲、ボカロを歌うのですが、暴れに暴れるんですよね本当楽しいんですよ。感動するんです。心を揺さぶられて体がそれに合わせて動いている。

 

 

 

「あぁ…俺今死んでんだな」

そう思えてしまったんですよ!「死」が怖い人間が!

 

 

 

「死」にも形がある。

マジのガチの「死」

堂々と裏路地すらあるけないような社会的「死」

自分の状況の悪さ、例えるならば地獄。すなわち「死」

そして…

そんな日常を「生」きている自分からの「死」

ええやん。そういうの。ロックやん。

自由を求めて、「生」っていうしがらみをぶち壊してぬけだす。

それを「死」って言うなら俺は受け入れられるしもう受け入れてるのかも。

だとしたら何人かだけじゃなくても僕にとってもあの人が歌に乗せる「死」は、

「死は救済」だと思います。 

 

 

 

少し怖くなくなりました。これで夜のトイレも一人で行けそうです。

思考整理ができた。お付き合いありがとうございました。

 

 

 

最後に。

 

 

 

『やっぱ「死に方」よりも「生き方」だよな』

(by/甲本ヒロト

 

 

 

またどこかで。

 

 

 

 

もちろんアーティストもいいんですがそのファンたちに会えてよかったなぁ。ありがとうな。